我楽多箱

あと2年は学生です。古いものを探してぷらぷらしてます。

本を読む自分に酔う

今日はエッセイぽいよ。

 

 

 

小学生の時はかなり本を読んでいた。

速読ができるとかではないけれど、学校の読書時間のために本を買ったのにそのまま家で最後まで読んでしまう、とかそんな感じ。

 

当時同じ本をもう一度読むという気にはならなかったから、

結局図書室の本を借りることも多かったな。怪談レストランとか懐かしい。

 

 

中学校にあがって部活に入ると、学校の読書時間くらいしか本を読まなくなった。

学校の読書時間って朝の10分。それがたしか週4日だったから、1週間で1時間も無い。

それでも小学校の時に本が好きだったこともあって本好きを信じていた。

自称本好きの誕生だ。

本好きのプライドだけはあったからときどき本は買っていたけれど

以前よりも読み終わるまでに時間がかかるようになっていった。

 

 

高校生になるといよいよ読まなくなった。

スマホの出現が強すぎた。

両親が共働きだったので小学生のころから携帯は使っていたけれど

スマホとかいう便利な携帯を持つのは高校生になってから。

いくらでも暇を潰せるそれに依存してしまい、

本を読む時間をとることをしなくなった。

本を買うこともほとんどなくなった。

心の中ではちょっとだけ「本を読むってかっこいい」と思っていた。

みんなスマホに夢中になり、電車に乗ると画面とにらめっこをする光景のなかで

本を読んでいる人を見ると輝いて見えるようになった。

けれども依存していた私は実行までは移せなかった。 

 

 

 

大学生になった。

大学生になってもスマホは結構な頻度で触っているけれど

高校の時よりは落ち着いた。

高校の時にあまり勉強しなかったので

せめて大学は勉強を頑張りたいという気持ちがあった。

なにしろ大学は面白い講義は面白いし

アカデミックなことをしている自分もなんかかっこいい気がした。

ちょっと痛い奴ではあるけれど、自分が心の中だけで思っていることだし

これがなければ勉強なんかやっていられない。

どんなに面白い講義もレポートやテストはだるいしね。

この痛い意識の高さこそがちょっとした原動力になった。

 

 

 

本も同じ。若者の本離れとは言いつつ、大学生はわりと本を読む人は多い(体感)。

私は国語科なので余計そう感じるのかもしれない。

本を読み、教養をつける行為に憧れた。

いろんなことを知っている人は本を読んでいる。

小説や専門書だけじゃない。美術とか、健康とか哲学とか幅は広い。

かっこいい。私もこうなりたい。

っていう動機だけで最近また本を読むようになった。

不純ってほど不純な動機でもないと自分は思っている。

結果的に読む本は増えるし、本を読むこと自体も楽しいと思えるし、知らなかったことを知ることもできる。

自分にとってプラスしかない。

理由なんてこんなもので十分だと思う。

 

 

本って、自分の時間に寄り添ってくれるからいいですよね。

どこか途中で読むのを一旦止めるか、一気に最後まで読んでしまうかは

全部自分の時間次第で決められる。

 

最近のスマホのゲームなんかは、時間を逃せば損をしたり他の人に追い越されたりするものもあって、自分の時間がゲームに寄り添わないといけないこともある。

 

余裕がない生活のなかで、自分の時間に寄り添ってくれる娯楽の存在にありがたみを感じるようになったのも一つの収穫かもしれないです。

 

 

 

 


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