我楽多箱

あと2年は学生です。古いものを探してぷらぷらしてます。

卒業式が死んでいく

 

 

卒業式のシーズンですよねえ(2回目)

 

 

小、中、高と私も今まで3回卒業式というものを通過してきました。

小学校は、記憶からちょっと薄れてきています。高校は卒業生の呼名も無いあっさりとしたものでした。

私の記憶に強く残っている卒業式は中学校の時のものです。人それぞれ思い出の卒業式がいつのものだったかは違うと思いますが、私と同じパターンの方も多いのではないかと思います。

 

だから私は、中学校の卒業式は少し特別に感じます。これは、教員になるならば中学がいいと思ったきっかけでもあります。

今、中学卒業を迎える子供達やこれから中学卒業を経験する子達にも、「中学の卒業式は感激して思わず泣いたなあ」なんて思い出すような卒業式を経験してほしいなあ…と思っています。

 

 

ですが、最近の卒業式の様子を噂で聞くと、なんだか納得いかない。教員のやり方に少し疑問を抱いています。

 

 

私の中学は、その地域の中でもかなり真面目な方でした。中学に限らず小学校からずっと、「荒れている」というような空気を一切感じることなく平和な学校生活を送ってきました。

卒業式もそう。何か問題が起きると言ったこともなく、生徒も先生も親も涙を流した良い卒業式だったと記憶しています。

一人一人、担任から名前を呼ばれ、返事をして校長先生から卒業証書を授与される。卒業生と在校生の呼びかけと合唱。この辺りからちらほら泣き始める子も出て、伝染していく。校歌を歌い終え、退場する直前に、クラスごとに担任の先生への感謝の言葉を叫ぶ。この先生へのありがとうが、私の中学校では毎年行われていて、ちょっとした伝統のようなものでした。この時に見たクラス担任の泣き顔が今でも忘れられません。すごく素敵な瞬間だと思います。

 

もちろん、これが式ではなく最後のホームルームで行われるなど様々なパターンがあると思いますが、私の中学ではそのような風習がありました。

 

それが現在、教員の「やるな」という一言で禁止されてしまったらしい。生徒がやりたがっているにも関わらず。

 

私はこの変化になかなか納得することができません。なぜ、禁止する必要があるのかがどうしてもわからない。

 

実は私の時にも「やるな」という声はありましたが、頑固だった生徒側は強行しました。その理由が「時間が押すから」だったからです。中学3年生にもなると自分たちの意思で行動できるようになります。猿から人間の仲間入りをしたくらいですが。人間の端くれとして、自分達が望んだことで、やるべきだと思ったことならやろうという行動力を持っていたんだと思います。教員を目指す立場になった今でも、自分達の行動が間違いだとは思いません。

 

生徒にとっては一度しかない卒業式で、大人になって私のように一番記憶に残るものになる可能性もあります。「時間が押すから」という理由で、生徒の「やりたい」という気持ちを無視するのは違う気がしてならないのです。

 

私は、自分の担任が私達の言葉で泣いたことを覚えています。こちらこそありがとうと叫んだ先生の声も覚えています。この時間にどれだけ価値があるか、「やるな」と言った教員にも少し考えてみてほしい。

 

時間に収まるプログラム通りの卒業式が、教員の望む卒業式なのだとしたら、ちょっと心苦しいです。

卒業式が死んでいくような気がして、寂しいです。

 

 

卒業式に限らず、やりたい放題になり風紀が乱れることを恐れて、禁止禁止禁止となんでもかんでも禁止してしまう事例はあるようです。文化祭や運動会で。

片っ端から芽を摘み取っていく行動は、生徒のことを信じていないと宣言していることと同じだと思います。

ざわつくのは格好悪いからという理由で、文化祭で照明を落とすことを禁止したなんて話も聞きます。馬鹿らしい。

本当に禁止しなければいけないことかどうかという議論はすごく難しい課題だなあと思いますが。

 

今は「ダメなものはダメ」は通用しなくなってきています。若い教員の中で異を唱える人が出てきています。生徒も馬鹿ではないので「この規制や禁止に意味はあるのか」を自分の頭で考えています。今まで「ダメなものはダメ」で抑圧が成功していた人は、その感覚に疑問を持つべきじゃないのかなあと、生意気な若造は考えております。

 

教員は、生徒のためを一番に考えて行動する職業でなければいけません。抑圧された学生生活が蔓延る世の中にならないでほしいです。

 

 

 

 

 

 

まあ年配じゃなくても変な先生っているんですけど  ☺️

 

また今度です。