恥さらし

読み物として読んでください

言葉に出会う話

お久です。ざっくり言い訳するとバタバタしてました。

 

 

本を読んでいる。また本の話かよって思う人には申し訳ない。

 

本を読んでいると絶対に知らない単語が出てきて私を惑わせる。それは読み方すら知らない単語だったり、かろうじて読めるけれど意味はわかっていなかったりと程度は様々なのだが。物語を読んでいるときに「出会ったことのない言葉」が登場すると気にかかってしまい、物語を読むというレールから外れてしまう。だから家で本を読むときは大体側に辞書を置いて読んでいた。本を読んでいてわからない単語に出会ったら辞書をめくる、という行為がかっこよく思えて、単純に憧れてたというのもあるかもしれない。中二病か。ただそうやってついた習慣は負の遺産にはならなかったし、新しい言葉を知識として自分のものにするという術も身につけた。

小さい時から居間には角川の国語辞典があった。母が居間に置いておくために買ったらしく、高校で指定されて買った国語辞典よりは小さめのサイズ。箱のカバーは見たことがないから多分捨てたんじゃないかな。捲ると所々に色鉛筆の落書きが残っていてまあまあ汚い。これになんでか愛着が湧いて今も本を読むときに使う。隣に高校の時に新しく買った小学館の辞典もあるのだが、どうしてもこの使い古して柔らかくなったカバーの辞書を使いたがる。言葉は変化するものなので、国語辞典も進化し続けているためなるべく新しいものを使った方がいい(場合による)と講義ではよく言われる。でも使ってしまう、お気に入りの辞書だ。

なぜ母は居間に辞書を置きたがったのかというと、単純に生活の中で必要なものだったから、らしい。知らない言葉と出会った時に調べるのはもちろんだが、手書きで手紙を書いたりする時に便利だと言う。私が小学生の頃は結構アナログなやり取りが多くて、PCは普及していたけれど手紙という手段もそこまで珍しいものではなかった。母がその友人と手紙で文通しているのを見て、私も友達とよく手紙を送りあっていたし。こんな感じなので、私が「〇〇ってどういうこと?」と聞くと母は「辞書あるんだから自分で調べて。お母さんわかんないし」と返すのが当たり前だった。知らない単語に遭遇したら辞書を引く、というスタイルを確立させたのは母だ。

そういう経緯もあってかなくてか、私は本を読む時に辞書を使う。今読んでいる本は1ページに5個も6個も初めましての単語が当然のように出てくる。最近の作家さんだし有名な小説なんだけど。最初こそは面倒と感じていたが、今は知らない単語が出てくるとテンションがあがる。自分が知らない単語に出会って、この厚い辞書の言葉を1つずつ消化していく感覚が達成感があって気持ちいい。側からみると気持ち悪いけど。人に勧めているわけじゃないけど損はしないから暇だったら試してみるといい暇つぶしになると思う。

 

辞書の話なんだか本の話なんだかイマイチ自分でもわからなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

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